大和屋儀平について

金大という名前の「大」の字の由来は、屋号の「大儀(だいぎ)」です。一族の暮らす、小豆島・馬木 醤の郷では、現在でも、しばしば「大儀(だいぎ)さん」という呼び名を使う方がいらっしゃいます。

 

しかし、大儀という屋号の元になった「大和屋儀平(やまとや・ぎへい)」については、どの時代に生き、何を成した人物なのか、実のところ、よくわかっていません。

 

創業者・坂下重太郎の妻、ヨシ(1891-1981)ですら、彼の素性についてはよく知らなかったそうです。彼について分かっていることといえば、先祖の一人であり、如何なる事情からか小金を持っていて、なかなかに羽振りがよかった人物ということだけです。

 

ヨシが明治25年生まれだったことを考えると、儀平の生きた時代は、どう下っても明治の初め以前、おそらくは江戸時代後期の人物だったと思われます。

 

今でも、「大儀さん」という名前で呼ばれることの多い儀平の子孫たちにとっては、その呼び名の元になった彼は、先祖の中でも特別な存在として親しまれています。東京・銀座と高田馬場にあるキンダイ製麺(株)直営の飲食店も、店名を「大儀」としている程です。

 

最後に、馬木 醤の郷 界隈の子供たちが、その昔囃し立てていたという戯れ言を一つご紹介しましょう。

 

「金(かね)の光か、灯篭の光か、大儀さんの頭は稲光り♪」

 

どうやら、儀平さんの頭は美しく輝いていたようですね。そして、それは、儀平の子孫の男子達に脈々と受け継がれているようです。